ブログ

連休の雨曝観音詣で

2019.05.08

連休中は姉に誘われて、新潟の「太郎代観音」に詣でました。

姉の息子が入院していて、姉が言うには

「お参りに行ったら翌日息子が『楽になって眠れたよ』と言うからお礼参りしょうと思って・・」

とのことで、『甥の見舞い前にそこへ寄ってから行くんだな』

と思って誘われるままにでかけました。

 

わたしが思っていた観音様は30分位は車でかかるところのはずなのですが、

滞在中の二女の姉の所から5、6分でそこに着いたのです。


「え。ここ初めてだよ・・」と言うと

姉は「この観音様は霊験あらたかなのよ。昔、お母さんに聞いたのよ」

と話してくれました。


こんなに近くなのに聞いていなかった。・・などと話ながら

観音様の背後の道から階段に足をかけるや否や、何と涙が溢れてきました。

『何の心の準備もないんですけれど』と思う間もないうちに・・


姉が水や花を上げている間中、わたしは子供のように泣きじゃくっていました。

観音様に触らせて頂いている間も、涙は出続けていました。

やっと涙も乾き、周りを見渡すと、

観音様の右手に、この観音様の言われを記した看板が目に入りました。


それによると、時代は戦国時代の頃、この地に一人の僧が立ち寄り

「人々を救うため、観音像を一体贈りたい」と言って立ち去り、翌年

観音像を積んだ船が、この地にさしかかるとそれ以上進まなくなり、

「この地はわが結縁の地である。この地に陸揚げせよ」と言われ、

最初は神社においたものの、すぐ倒れたり安定せず、太郎代

の塔婆山に移しお堂を立てたら、今度は、風がなくとも屋根が吹き飛び

幾度立て替えても同じで、村人が雨曝しにすると、それ以来平安な日が続いたということでした。

そこで「雨曝観音」と名前がついているようです。


日本全国、霊験新たかな所は多いことでしょうが、こんなに近くにその恩恵に浴せたことは感謝でした。

帰京するまでの3日間、お参りさせて頂きました。


新潟東港の工場地帯の一角でした。

歩いて参拝に来た時はハマナスの花が咲き始め、「雅子妃のお花だわ」と感慨ひとしおでした。

当時はハマナスの丘が続いてどんなにか広々としていたことだっただろうと想像しました。

お堂には優しい色のつつじやグミの花が満開でした。


「令和はきっと良い時代になる」・・ハマナスの花花を眺めながら思ったことでした。

新潟は今カエルが鳴き、田植えの真っ盛りです。

 

お問い合わせ