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姉のお見舞いに!

2018.10.20

姉が8月位から入院していて、「来てくれない?」と電話がありました。

夏の頃より、ずっと元気になっていました。

夏のころはもう駄目なのかというくらいの状態だったのが、食欲も出て声も大分確りとしていました。

退院したら、退院後のケアーに行こうかと思っていましたが、その前のお呼びです。

丁度、都合もついたので、かけつけました。

姉はニコニコと、「秀樹(姉の長男)が来てくれると足を揉んでくれるけど、それと全然違う」

とか言ってわたしのマッサージを殊のほか喜んでくれました。


高校生の私は姉のところに居候させてもらいながら、学校に通っていました。大学2年までお世話になりました。

姉たちはその後、新潟で商売を始め、別れ別れになりました。


わたしはそんなにお世話になっていたのに、姉に恩返しができていませんでした。

姉はある宗教に入り、勧誘するものですから、姉の所に近づけたくても距離を置くしかありませんでした。

冠婚葬祭では会うものの、親しく話をしたのは何年ぶりだったでしょうか?


兄弟というのはよくしたもので、いつの間にか溝はすっかり埋まっていました。

相手があまり自分と相いれなくなった時は、距離を置くのは大事だなと思いました。

縁があれば、必ずよくなる時はくるものですね。

「悪かったわね。呼びつけて」と姉、

「おねーさんがしてくれたことに、ほんの少しお返しができただけよ。こっちこそありがとう!」

ほんとうに正直な気持ちでした。


わたしたち兄弟はこの姉から、人生で一番大切な‘愛’を学びました。

姉が中学生の時、家は貧しく、シャツが買えなかったので、姉は自分より2歳下の弟に、

隣の同級生から、シャツを借りてきて、遠足の日の前日にシャツを縫ってあげたのだそうです。


器用な姉はその後文化服装学園で学び、わたしは大学を出るまで、ずっと姉の手作りを着させてもらっていました。

「サウンドオブミュージックで主人公のマリアが着ていた服を作って!」とか注文を出すと、それが出来ていました。

それは本当にワクワクする喜びでした。

兄弟はみんなそれぞれ姉の恩恵に預かっていたのでした。

(新潟の夕暮れ、温泉の帰り道)

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